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超高級ホテルで発生したクリスマスの悲劇…大火災により191名が死亡

5月2日に放送された韓国放送局SBSの時事バラエティ『尻尾に尻尾を噛むあの日の話(韓国語現代訳)』では、韓国史上最悪の火災事故として記憶されている「大然閣(テヨンガク)ホテル火災事故」が取り上げられた。

1971年12月25日の午前10時、明洞の中部消防署にクリスマスの朝の静寂を破るような出動ベルが鳴り響いた。通報現場は消防署からわずか700メートル離れた場所で車であれば、2分で到着できる距離だ。現場に到着したパク・ジュノ隊員は目の前に広がる光景に驚きを隠せなかった。

引用:『尻尾に尻尾を噛むあの日の話』

パク・ジュノ隊員が目撃した現場は衝撃そのものだった。当時、ソウルで2番目の高さを誇った21階建ての高層ビルがまるで巨大なマッチ箱のように燃えていたからだ。

炎に包まれたビルは、明洞のランドマークと呼ばれていた大延閣ホテルで、1泊の宿泊代が当時の公務員の月給と同レベルのこのホテルは、庶民にとっては夢のまた夢のような場所だった。

なぜ、この超高級ホテルが一瞬で巨大な炎に包まれることになったのだろうか。クリスマスの朝、普段大延閣ホテルの3階美容室に勤務し、休日のこの日は社長にクリスマスプレゼントとしてランチに招待されたため偶然訪問していたが、辛うじて生き残った美容室のスタッフ、アン・ミジャさんがその日の緊迫した状況を語った。

一方、ビルの外壁から降り注ぐガラスの破片と炎で消防士たちも近づくことすらできずにいる中、パク・ジュノ隊員の目に驚くべき光景がうつった。ホテル7階から広がる中間の屋上に100人以上の人々が集まっていたのだ。彼らは7階の宿泊客で、廊下の先につながっている屋外の屋上で救助を待っていたという。

ちょうど、当時、韓国内で唯一の最新式の高価なはしご車が中部消防署にあり、おかげで7階の屋上に避難していた人々ははしごを使って無事にホテルから救出された。しかし、残念なことに救助はそれが限界だった。はしご車が届く最大高さは32メートルで、7階以上の高さには届かなかったからだ。

千度を超える熱に耐えかねた宿泊客たちは危険を顧みずビルの窓にぶら下がりながら救助を待たなければならず、結局、ベッドのマットレスを抱えて飛び降りる人も続々と現れ始めた。そのように38人が飛び降りたが、生き残った人は一人もいなかった。

ホテルの中は地獄のように炎が蔓延し、外はどうしようもない空虚、彼らに残されたのはどう死ぬかの選択だけだった。窒息死と転落死の瀬戸際に立たされた高層階の宿泊客たちには生き残る方法はほぼないに等しかった。

火災が始まってからすでに3時間、いまだに炎が激しく燃え盛る中、見物人の一人が驚いたような声をあげた。煙の中から11階の窓に毛布をかぶった一人の老紳士がかすかに見えたからだ。

3時間もの間、この惨事と闘い続けた奇跡の男を救うため、様々なアイデアが動員された。そして、1つのアイデアとして高校生のアーチェリー神童、チョ・チュンボンさんが現れた。矢の先に救助用のロープをつけて老紳士に届ける作戦だった。

彼は近くの歩道橋にのぼり、そこから数十本もの矢を放ったがなかなか11階の部屋には届かない。残りの矢は10本、ここまでかと誰もが思った瞬間、ついに部屋に矢が届いた。しかし、老紳士の反応はない。老紳士の生存にみなの注目が集まっていた。

その後、夕方5時頃、ついに火災は落ち着いた。消防隊員はすぐに11階にある老紳士の客室に向かった。みなが注目する中、11階の部屋の窓から消防隊員が「老紳士は生きている」と段ボールに書かれたメッセージを掲げた。まさに奇跡の瞬間だった。

老紳士は水をはった浴槽の中を布団にくるまった状態で火を避けていたという。

そして、彼は最後の生存者となった。

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